経歴
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1190年1月 当時 47歳、ヨマーム・ウェルシチに大将として仕える。 奸臣であったと言われる。
1191年3月 マクスグラム会戦において、アルバッハ軍と対戦。 左翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 敵侵攻軍を撃退。 この勝利によりアルバッハ国に講和を結ばせることに成功。
1191年8月 第2次マクスグラム会戦において、アルバッハ軍と対戦。 左翼騎兵を担い奮戦するが、敗戦。
1191年9月 国内のルトクブ・サットレクスに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1191年11月 母国がアルバッハ国に降伏、それに従いアルバッハ国の幕僚を拝命。
1192年3月 アントゥ・レクステルク大将指揮のもとオフェンベルク国バートグラム城攻略戦に参加。
1192年3月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 バートグラム城攻略は断念。 兵を退く。
1192年10月 ゲッテンラーク東の攻防戦において、 バート軍と対戦。 右翼騎兵を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 バート領ゲッテンラークを制圧。 功績により中将に昇進。
1193年3月 カールリンゲン北の攻防戦において、 アルセント軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 アルセント領カールリンゲンを制圧。 功績により大将に昇進。
1193年3月 アルセント国カールリンゲン城攻略戦に着手。
1193年6月 留守の城を懸念し長期戦は避け、カールリンゲン城攻略は断念。 兵を退く。
1193年11月 バーロファ・ヒクスリンゲン上級大将指揮のもとハスリア国レクスバッハ城攻略戦に参加。
1193年11月 城内への強行突入に成功、レクスバッハ城を陥落させる。
1193年11月 国内のグスレヒト・ローボルクに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1194年3月 カルリン南の戦いにおいて、モンベセン軍と対戦。 陣頭に立つ、敵側面への攻撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 モンベセン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 功績により上級大将に昇進。
1194年5月 国内のフィイアス・ベスシェイドに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
1194年6月 賛同するフィイアス・ベスシェイド元帥のはからいにより、 シェルデルンの地を拠点とするフィイアス・ベスシェイド元帥揮下、 北西部方面軍に配属が決まる。
1194年7月 ウェルラーク会戦において、ラスレン軍と対戦。 陣頭に立つ、巧妙な敵の伏兵の前に部隊は混乱、敗戦。 ラスレン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
1194年11月 シェルデルンの北西部方面軍を解任、首都に戻る。
1194年12月 プルイエン・ファレンシチ元帥指揮のもとラスレン国ジムラー城攻略戦に参加。
1194年12月 城内への強行突入に成功、ジムラー城を陥落させる。
1198年3月 国内のイン・ラベンシチに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1198年4月 シェルデルンの地を拠点とする、ナジライザ・ラベンシチ元帥揮下の東部方面軍に配属。
1198年5月 ナジライザ・ラベンシチ元帥を、 罪もない民衆を殺したという無実の罪に落としいれ降格させる。
1198年6月 シェルデルンの東部方面軍を解任、帝都に戻る。
1198年6月 バイエゲルトの地を拠点とする、サートーレ・アドマルク元帥揮下の西部方面軍に配属。
1198年7月 サートーレ・アドマルク元帥を、宰相暗殺を企てているという無実の罪に落としいれ降格させる。
1198年8月 バイエゲルトの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
1198年8月 ナジライザ・ラベンシチ大将を、 他人の妻と怪しい関係になるなどという無実の罪に落としいれ処刑を命ずる。
1198年10月 サートーレ・アドマルク大将を、 罪もない民衆を殺したという無実の罪に落としいれ解雇、粛清させる。
1198年11月 グスレヒト・ローボルク中将を、 他人の妻と怪しい関係になるなどという無実の罪に落としいれ降格させる。
1199年2月 ランロット・アーレクス中将を、宮廷の妾に声をかけているという無実の罪に落としいれ降格させる。
1199年3月 ハイル・パトルク大将を、叛乱を企てているという無実の罪に落としいれ降格させる。
1199年5月 オーサネ・フォリリン大将を、宰相暗殺を企てているという無実の罪に落としいれ降格させる。
1200年11月 ホルハン・ヌーシスク上級大将を、 罪もない民衆を殺したという無実の罪に落としいれ降格させる。
1201年8月 裏工作により、ハーリク・ツエメッツの名誉を失墜させることに成功。
1202年2月 第2次ミッテンラルト会戦において、デリベス軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、勝利。 侵攻作戦は成功。 デリベス領ミッテンラルトを制圧。
1202年2月 リチャーフレード・アルバッハ皇帝指揮のもとデリベス国ミッテンラルト城攻略戦に参加。
1202年2月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 ミッテンラルト城攻略は断念。 兵を退く。
1202年8月 第3次ミッテンラルト会戦において、デリベス軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、勝利。 侵攻作戦は成功。 デリベス領ミッテンラルトを制圧。 功績により元帥に昇進。
1202年8月 リチャーフレード・アルバッハ皇帝指揮のもとデリベス国ミッテンラルト城攻略戦に参加。
1202年8月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 ミッテンラルト城攻略は断念。 兵を退く。
1203年1月 アルズィン・フルデバッハを養子に迎える。
1203年2月 アルバッハ朝アッテンダン帝国宰相の任を受ける。 同時に方面軍総司令官の任を解かれ、首都に戻る。
1203年2月 ミッテンラルト川の攻防戦において、デリベス軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 デリベス領ミッテンラルトを制圧。
1203年2月 デリベス国ミッテンラルト城攻略戦に着手。
1203年3月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 ミッテンラルト城攻略は断念。 兵を退く。
1203年4月 国内のローデスラヴ・トゥラーニに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1203年10月 国内のジョセトーレ・ファレンシチに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1204年6月 国内のヘラス・カルメッツに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1204年12月 国内のライラブ・エルリアに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1205年3月 国内のバムンド・インスツェイルに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1205年7月 アドレイター南の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。 陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。 アドレイター地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
1206年4月 カリムフェン西の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
1206年7月 ブラウベルク南の攻防戦において、 デリベス軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
1206年9月 カリムフェン川の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。 陣頭に立つ、まんまと敵の挑発にのり部隊は混乱、敗戦。 カリムフェン地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
1206年12月 アッテンダン西の戦いにおいて、 デリベス軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
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