Admiral Data
E.サムソツェ
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-75 3 5 89 51 54

経歴

1190年1月
 当時 65歳、ヨマーム・ウェルシチに中将として仕える。
  適材適所の配属であったと言われる。
   


1191年3月
 マクスグラム会戦において、アルバッハ軍と対戦。
  右翼を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


1191年8月
 第2次マクスグラム会戦において、アルバッハ軍と対戦。
  左翼を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊、敗戦。
   自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
    


1191年11月
 母国がアルバッハ国に降伏、それに従いアルバッハ国の幕僚を拝命。
  


1192年3月
 アントゥ・レクステルク大将指揮のもとオフェンベルク国バートグラム城攻略戦に参加。
  


1192年3月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  バートグラム城攻略は断念。
   兵を退く。
    


1192年4月
 国内のサースフリッツ・ハスシチに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


1192年6月
 賛同するサースフリッツ・ハスシチ上級大将のはからいにより、
  シェルデルンの地を拠点とするフィイアス・ベスシェイド元帥揮下、
   北西部方面軍に配属が決まる。
    


1192年7月
 ビュフェルト東の攻防戦において、ラベンザルツ軍と対戦。
  前衛を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    ラベンザルツ領ビュフェルトを制圧。
     


1192年7月
 ジョセナ・インスレン上級大将指揮のもとラベンザルツ国ビュフェルト城攻略戦に参加。
  


1192年7月
 城内への強行突入に成功、ビュフェルト城を陥落させる。
  


1192年8月
 シェルデルンの地の方面軍を解任、首都に戻る。
  


1193年1月
 賛同するサースフリッツ・ハスシチ上級大将のはからいにより、
  シェルデルンの地を拠点とするフィイアス・ベスシェイド元帥揮下、
   北西部方面軍に配属が決まる。
    


1193年2月
 ミットラーニ会戦において、ラスレン軍と対戦。
  右翼騎兵を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   ラスレン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
     


1193年6月
 フリントローニ南の戦いにおいて、アルバッハ軍援軍としてミュールツェイル軍と対戦。
  後衛を担い、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    ミュールツェイル領フリントローニを制圧。
     功績により少将に昇進。
      


1193年9月
 第2次ベスソン会戦において、サットリア軍と対戦。
  参謀として全軍を指揮する、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、
   敗戦。
    サットリア領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
     


1194年4月
 国内のムルル・バイエバイドに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
  


1194年5月
 賛同するムルル・バイエバイド大将のはからいにより、
  シェルデルンの地を拠点とするフィイアス・ベスシェイド元帥揮下、
   北西部方面軍に配属が決まる。
    


1194年9月
 ブラニエ・モンテメッツ大将指揮のもとアルハルト国シュタイボルク城攻略戦に参加。
  


1194年9月
 城内への強行突入に成功、シュタイボルク城を陥落させる。
  


1195年3月
 ワーハルト会戦において、アルバッハ軍援軍としてシェルヒルト軍と対戦。
  後衛を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。
   侵攻作戦は成功。
    シェルヒルト領ワーハルトを制圧。
     


1195年3月
 シェルデルン城において病に伏せ逝去。
  享年 71歳。
   



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