Admiral Data
F.マークメッツ
思想 野心 人望 智力 武力 名声
89 49 61 69 58 76

経歴

1190年1月
 当時 27歳、アス・アルセントに少将として仕える。
  主君を慕ってであったと言われる。
   


1190年2月
 ギスメッツの地の方面軍を解任、首都に戻る。
  


1190年3月
 ビュフェルト会戦において、インスレン軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
   侵攻作戦は成功。
    インスレン領ビュフェルトを制圧。
     功績により中将に昇進。
      


1190年5月
 ワーシスク会戦において、ラスレン軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   ラスレン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


1190年9月
 カリムフェン会戦において、インスレン軍と対戦。
  陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。
   インスレン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
    


1191年3月
 オビト・ハノバルク上級大将指揮のもとラスレン国ヒンデンハウゼン城攻略戦に参加。
  


1191年5月
 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、
  ヒンデンハウゼン城攻略は断念。
   兵を退く。
    


1191年9月
 賛同するフレソン・バートツェイル上級大将のはからいにより、
  カールリンゲンの地を拠点とするゲイラーマ・アルセント元帥揮下、
   南東部方面軍に配属が決まる。
    


1191年9月
 敵侵攻によって孤立したカールリンゲンの地において、
  暫定自治を始めたゲイラーマ・アルセント元帥に従うことになる。
   


1192年3月
 カールリンゲン会戦において、アルバッハ軍と対戦。
  右翼騎兵を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。
   


1192年3月
 ブラニエ・モンテメッツ中将指揮のアルバッハ軍にカールリンゲン城を包囲される。
  


1192年5月
 国内のベオル・サットフリードに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


1192年6月
 アルバッハ軍は自軍の側背を考慮し撤退、カールリンゲン城は安泰を得る。
  


1193年2月
 合流先を失い、以後、ゲイラーマ・アルセント君主に従う。
  


1193年3月
 カールリンゲン北の攻防戦において、
  アルバッハ軍と対戦。
   右翼騎兵を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
    


1193年3月
 ジョルト・フルデバッハ大将指揮のアルバッハ軍にカールリンゲン城を包囲される。
  


1193年6月
 アルバッハ軍は自軍の側背を考慮し撤退、カールリンゲン城は安泰を得る。
  


1193年7月
 カールリンゲン北の攻防戦において、
  アルバッハ軍と対戦。
   参謀として全軍を指揮する奮戦するが、敗戦。
    自身は乱戦の中、少数の部下と共に戦場を離脱。
     


1193年7月
 ナジライザ・ラベンシチ上級大将指揮のアルバッハ軍にカールリンゲン城を包囲される。
  


1193年7月
 アルバッハ軍の猛攻を防ぎきれず、カールリンゲン城は落城する。
  


1193年7月
 アルバッハ国に首都カールリンゲンを制圧され降伏。
  捕虜となるも助命されアルバッハ軍少将を拝命。
   


1193年8月
 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
  


1194年1月
 国内のシュテスト・シェルテルクと今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
  


1194年4月
 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、
  地元の支持を得るべくバートテルクの地への赴任が決まる。
   


1194年9月
 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、
  バートテルクの地をあとにする。
   


1194年9月
 文官としての功績が評価され、中将に昇進。
  


1195年6月
 アントゥ・レクステルク元帥の指示によって、
  地元の支持を得るべくウェルラークの地への赴任が決まる。
   


1195年11月
 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、
  ウェルラークの地をあとにする。
   


1196年8月
 アントゥ・レクステルク元帥の指示によって、
  地元の支持を得るべくモンベディーの地への赴任が決まる。
   


1197年2月
 逃亡を続けていた罪人を捕縛するなど、一定の成果は上げモンベディーの地をあとにする。
  


1198年1月
 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、
  地元の支持を得るべくベスソンの地への赴任が決まる。
   


1198年6月
 住民支持向上のまずまずの成果は上げ、ベスソンの地をあとにする。
  


1199年3月
 地元の支持を得るべくワーハルトの地への赴任が決まる


1199年9月
 恒例の祭祀に招かれた際、賓客として泰然たる振舞いで好感を得るなど、
  一定の成果は上げワーハルトの地をあとにする。
   


1199年9月
 文官としての功績が評価され、大将に昇進。
  


1200年7月
 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、
  地元の支持を得るべくアンステルクの地への赴任が決まる。
   


1200年12月
 才より努力を持って、住民支持向上のまずまずの成果は上げ、
  アンステルクの地をあとにする。
   


1201年9月
 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、
  地元の支持を得るべくカルリンの地への赴任が決まる。
   


1202年2月
 住民支持向上のまずまずの成果は上げ、カルリンの地をあとにする。
  


1202年11月
 地元の経済の向上を目指しミッテンソンの地への赴任が決まる


1202年11月
 ミッテンソン城において流行の病に伏せ逝去。
  享年 39歳。
   



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