経歴
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1205年1月 ハイル・パトルクの嫡子として元服しアルバッハ朝アッテンダン帝国軍准将を拝命。
1205年8月 ジョルイリフ・オフェンテン准将指揮のもとカル国ソマーリン城攻略戦に参加。
1205年10月 アルフォンソ・サラサーテ大将指揮のデリベス軍にオーバノフ城を包囲される。
1205年12月 父であるハイル・パトルク中将のはからいにより、 オーバノフの地の方面軍を解任、首都に戻る。
1205年12月 タミト・カル上級大将指揮のデリベス軍にカリムフェン城を包囲される。
1206年4月 駆けつけた援軍部隊が勝利し、デリベス軍は撤退。
1206年5月 カリムフェン川の攻防戦において、デリベス軍と対戦。 右翼騎兵を担い奮戦するが、敗戦。 最後尾で殿を努める。
1206年5月 アルフォンソ・サラサーテ大将指揮のデリベス軍にカリムフェン城を包囲される。
1206年9月 デリベス国に拠点カリムフェンを制圧されるが、 からくも脱出に成功。 再起にかける。
1206年10月 ブラウベルク南の攻防戦において、 デリベス軍と対戦。 父に随軍する形で右翼騎兵を担い、勝利。 敵侵攻軍を撃退。
1207年1月 アルフォンソ・サラサーテ大将指揮のデリベス軍にブラウベルク城を包囲される。
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