経歴
|
1190年1月 当時 29歳、ヨマーム・ウェルシチに准将として仕える。 家督をついで優遇であったと言われる。
1190年3月 リチャーフレード・アルバッハ君主指揮のアルバッハ軍にケンプバーグ城を包囲される。
1190年3月 度重なるアルバッハ軍の猛攻から ケンプバーグ城を守り抜き、 ついに撤退に追い込む。
1191年5月 国内のアイランディ・オービに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
1191年8月 第2次マクスグラム会戦において、アルバッハ軍と対戦。 左翼騎兵を担い奮戦するが、敗戦。
1191年9月 国内のジョルト・フルデバッハに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
1191年11月 母国がアルバッハ国に降伏、それに従いアルバッハ国の幕僚を拝命。
1191年12月 息子のユーム・サットレクスが元服しアルバッハ軍准将を拝命。
1192年3月 アントゥ・レクステルク大将指揮のもとオフェンベルク国バートグラム城攻略戦に参加。
1192年3月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 バートグラム城攻略は断念。 兵を退く。
1192年9月 国内のローデスラヴ・トゥラーニと今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
1193年7月 カールリンゲン北の攻防戦において、 アルバッハ軍援軍としてアルセント軍と対戦。 後衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 アルセント領カールリンゲンを制圧。 功績により少将に昇進。
1193年11月 バーロファ・ヒクスリンゲン上級大将指揮のもとハスリア国レクスバッハ城攻略戦に参加。
1193年11月 城内への強行突入に成功、レクスバッハ城を陥落させる。
1194年3月 カルリン南の戦いにおいて、モンベセン軍と対戦。 右翼を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 モンベセン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 捕虜となり処刑。 享年 33歳。
|
|