経歴
|
1190年5月 サアドデリク・エーインドルの養子に迎えられインスレン軍少将を拝命。
1190年11月 第2次アルリヒト会戦において、アルバッハ軍と対戦。 左翼騎兵を担い奮戦するが、敗戦。 アルリヒト地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。 最後尾で殿を努める。
1191年3月 母国がアルバッハ国に降伏、それに従いアルバッハ国の幕僚を拝命。
1191年4月 レイテセントの地を拠点とする、ラーラント・アッテンリヒト中将揮下の東部方面軍に配属。
1191年8月 オーバノフ東の戦いにおいて、アルバッハ軍援軍としてウェルシチ軍と対戦。 後衛を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 ウェルシチ領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
1191年11月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
1191年11月 プコベルク川の攻防戦において、 アクスシスク軍と対戦。 前衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 アクスシスク領プコベルクを制圧。
1191年11月 シュテスト・シェルテルク少将指揮のもとアクスシスク国プコベルク城攻略戦に参加。
1191年12月 プコベルク城を包囲戦の末、陥落させる。
1191年12月 レイテセントの地の方面軍を解任、 首都に戻る。
1191年12月 息子のローモンド・エーインドルが元服しアルバッハ軍准将を拝命。
1192年1月 シェルデルンの地を拠点とする、フィイアス・ベスシェイド元帥揮下の北西部方面軍に配属。
1192年4月 ナジライザ・ラベンシチ大将指揮のもとバート国ラベンルッツ城攻略戦に参加。
1192年4月 城内への強行突入に成功、ラベンルッツ城を陥落させる。
1192年5月 シェルデルンの地の方面軍を解任、首都に戻る。
1192年6月 シェルデルンの地を拠点とする、フィイアス・ベスシェイド元帥揮下の北西部方面軍に配属。
1192年8月 国内のクービアン・シェルテルクと今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
1192年12月 バートグラム川の攻防戦において、 アルバッハ軍援軍としてオフェンベルク軍と対戦。 後衛を担い、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、戦力差で優る敵に、みごと勝利。 侵攻作戦は成功。 オフェンベルク領バートグラムを制圧。
1193年2月 第2次フラドテルク会戦において、オフェンベルク軍と対戦。 右翼騎兵を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 オフェンベルク領フラドテルクを制圧。
1193年5月 父であるサアドデリク・エーインドル元帥指揮のもとラスレン国ミットラーニ城攻略戦に参加。
1193年5月 度重なる強行突破の失敗で、多大な犠牲者を出し、 ミットラーニ城攻略は断念。 兵を退く。
1193年6月 賛同するクービアン・シェルテルク少将のはからいにより、 シェルデルンの地を拠点とするフィイアス・ベスシェイド元帥揮下、 北西部方面軍に配属が決まる。
1193年9月 父であるサアドデリク・エーインドル元帥指揮のもとハスリア国ラスベルク城攻略戦に参加。
1194年1月 ラスベルク会戦において、ハスリア軍と対戦。 父に随軍する形で左翼騎兵を担い奮戦するが、大軍を活かせず、まさかの敗戦。 ハスリア領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 最後尾で殿を努める。
1194年5月 ロスドルの地を拠点とする方面軍に配属が決まる。
1194年6月 シュペライター平原の戦いにおいて、 アルバッハ軍援軍としてハスリア軍と対戦。 後衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 ハスリア領シュペライターを制圧。
1194年7月 賛同するクービアン・シェルテルク中将のはからいにより、 ロスドルの地を拠点とするジョセナ・インスレン上級大将揮下、 西部方面軍に配属が決まる。
1194年8月 タイヘニォ・ケスリア大将指揮のもとハスリア国モンベディー城攻略戦に参加。
1194年8月 城内への強行突入に成功、モンベディー城を陥落させる。
1194年9月 バイエゲルトの地を拠点とする方面軍に配属が決まる。
1195年3月 ワーハルト会戦において、アルバッハ軍援軍としてシェルヒルト軍と対戦。 後衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 シェルヒルト領ワーハルトを制圧。 功績により中将に昇進。
1195年5月 プルイエン・ファレンシチ元帥指揮のもとラスレン国ターテルク城攻略戦に参加。
1195年5月 城内への強行突入に成功、ターテルク城を陥落させる。
1195年5月 息子のティモン・エーインドルが元服しアルバッハ軍准将を拝命。
1195年6月 アーケイドルの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
1196年3月 アーケイドルの地を拠点とする方面軍は新たにクービアン・シェルテルク中将が司令官に。
1196年4月 アーケイドルの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
1196年11月 アーケイドルの地を拠点とする方面軍は新たにクービアン・シェルテルク中将が司令官に。
1196年12月 一人の時間、ふと自分の人生を振り返ってみる。
1199年5月 国内のオーサネ・フォリリンに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
1201年10月 ミッテンラルト会戦において、アルバッハ軍援軍としてデリベス軍と対戦。 後衛を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。 デリベス領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 捕虜となりデリベス軍准将として登用される。
1202年2月 第2次ミッテンラルト会戦において、アルバッハ軍援軍としてデリベス軍と対戦。 後衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 デリベス領ミッテンラルトを制圧。 功績により少将に昇進。
1203年9月 ミッテンラルト川の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。 右翼を担い奮戦するが、敗戦。 デリベス領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。 功績により中将に昇進。
1203年11月 ラベンルッツ北の攻防戦において、 トゥサムソン軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 トゥサムソン領ラベンルッツを制圧。 功績により大将に昇進。
1203年11月 トゥサムソン国ラベンルッツ城攻略戦に着手。
1204年1月 アーケイドルの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
1204年2月 ベスソン北の攻防戦において、アルバッハ軍援軍としてマークセン軍と対戦。 後衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 マークセン領ベスソンを制圧。
1204年6月 ベスソン東の攻防戦において、アルバッハ軍援軍としてマークセン軍と対戦。 後衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 マークセン領ベスソンを制圧。
1204年10月 アッテンラー西の戦いにおいて、アルバッハ軍援軍としてデリベス軍と対戦。 後衛を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 デリベス領アッテンラーを制圧。 功績により上級大将に昇進。
1204年12月 各地の民衆暴発により、赴任中のアーケイドルの地は退路を立たれ、 単独で叛乱鎮圧にあたる。
1205年7月 地方叛乱軍指導者であったクェンゼル・ラインブレが同志となり戦力が増す。
1206年1月 地方叛乱軍指導者であったアージド・バイエシェイドが同志となり戦力が増す。
1206年5月 配下のアージド・バイエシェイドの忠誠を得る。
1207年2月 フォリソン平原の攻防戦において、カルロスデンバー軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 カルロスデンバー領フォリソンを制圧。
1207年2月 カルロスデンバー国フォリソン城攻略戦に着手。
1207年2月 城内への強行突入に成功、フォリソン城を陥落させる。
|
|