Admiral Data
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D.タスクリン
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-18 88 67 24 19 35

経歴

1193年8月
 ブラドゥイノ・タスクリンの嫡子として元服しアルバッハ軍准将を拝命。
  


1193年8月
 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
  


1194年12月
 国の柱となる人材を収集するべくミッテンウィルの地への赴任が決まる


1195年12月
 この地にいたマーノ・マクスラーニという人物の噂を聞き、
  仕官を勧め、君主に会う約束を取り付ける。
   


1195年12月
 マーノ・マクスラーニを君主に引き合わせたが、
  話が合わず決裂する。
   


1198年2月
 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、
  地元の支持を得るべくテッセバークの地への赴任が決まる。
   


1198年7月
 才より努力を持って、住民支持向上のそれなりの成果は上げ、
  テッセバークの地をあとにする。
   


1202年8月
 国の柱となる人材を収集するべくルクセンライターの地への赴任が決まる


1202年12月
 この地にいたリイェ・ヒルデシチという人物の噂を聞き、
  仕官を勧め、皇帝に会う約束を取り付ける。
   


1205年11月
 国内のジョルイリフ・オフェンテンと今後とも協力関係を築いていこうと誓う。
  


1206年4月
 カリムフェン西の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。
  左翼を担い、勝利。
   敵侵攻軍を撃退。
    


1206年7月
 ブラウベルク南の攻防戦において、
  デリベス軍と対戦。
   左翼を担い、勝利。
    敵侵攻軍を撃退。
     


1206年8月
 ラベンルッツ西の攻防戦において、
  エーインドル軍と対戦。
   右翼を担い、勝利。
    敵侵攻軍を撃退。
     


1206年10月
 ブラウベルク南の攻防戦において、
  デリベス軍と対戦。
   左翼を担い、敵の攻撃で自己の部隊は崩壊したものの、味方の助けもあり勝利。
    敵侵攻軍を撃退。
     自身は乱戦の中、戦死。
      享年 29歳。