経歴
|
1194年9月 亡き父、ゲオファーノ・マクスシチの遺志をつごうと、アルバッハ軍に仕官する。 彼が 17歳の時であった。
1194年12月 アーケイドルの地を拠点とする、 クービアン・シェルテルク中将揮下の北部方面軍に配属。
1195年2月 国内のクービアン・シェルテルクに今後とも協力して関係にあたることを誓う。
1195年3月 ワーハルト会戦において、アルバッハ軍援軍としてシェルヒルト軍と対戦。 後衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。 侵攻作戦は成功。 シェルヒルト領ワーハルトを制圧。
1195年4月 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
1196年1月 アントゥ・レクステルク元帥の指示によって、 地元の支持を得るべくラベンルッツの地への赴任が決まる。
1196年5月 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り少将に昇進。
1196年5月 才より努力を持って、住民支持向上のそれなりの成果は上げ、 ラベンルッツの地をあとにする。
1196年6月 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
1196年6月 アーケイドルの地を拠点とする、フリーデンヴィト・エーインドル中将揮下の北部方面軍に配属。
1196年7月 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
1196年12月 アントゥ・レクステルク元帥の指示によって、 地元の支持を得るべくラベンルッツの地への赴任が決まる。
1197年5月 才より努力を持って、住民支持向上のそれなりの成果は上げ、 ラベンルッツの地をあとにする。
1197年6月 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
1197年6月 アーケイドルの地を拠点とする、クービアン・シェルテルク大将揮下の北東部方面軍に配属。
1197年6月 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
1198年10月 ミロイ・フォリバッハ宰相の指示によって、 地元の支持を得るべくシュタイボルクの地への赴任が決まる。
1199年1月 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り中将に昇進。
1199年3月 住民支持向上のそれなりの成果は上げ、シュタイボルクの地をあとにする。
1199年9月 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り大将に昇進。
1203年3月 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
1203年3月 アーケイドルの地を拠点とする、クービアン・シェルテルク上級大将揮下の北東部方面軍に配属。
1203年3月 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り上級大将に昇進。
1203年10月 後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる...
1203年10月 オルテンシチ南の攻防戦において、アールソン軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 アールソン領オルテンシチを制圧。
1203年10月 アールソン国オルテンシチ城攻略戦に着手。
1204年1月 アーケイドルの北東部方面軍を解任、帝都に戻る。
1204年1月 バートテルク川の攻防戦において、ロイエンシー軍と対戦。 左翼を担い、勝利。 侵攻作戦は成功。 ロイエンシー領バートテルクを制圧。
1204年3月 ゲリクシー西の戦いにおいて、ロートラス軍と対戦。 陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。 ロートラス領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
1204年9月 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
1204年9月 バイエゲルトの地を拠点とする、デーナルド・ブルハルト元帥揮下の西部方面軍に配属。
1204年9月 タスクダン国アルリヒト城攻略戦に着手。
1204年12月 ミッテンソン川の戦いにおいて、アルバッハ軍援軍としてアルノフ軍と対戦。 参謀として全軍を指揮する、勝利。 侵攻作戦は成功。 アルノフ領ミッテンソンを制圧。
1204年12月 各地の民衆暴発により、赴任中のバイエゲルトの地は退路を立たれ、 デーナルド・ブルハルトに従う。
1205年3月 オービシェイド北の戦いにおいて、 モンベセン軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 モンベセン領オービシェイドを制圧。
1205年3月 モンベセン国オービシェイド城攻略戦に着手。
1205年6月 留守の城を懸念し長期戦は避け、オービシェイド城攻略は断念。 兵を退く。
1205年10月 オービシェイド山の攻防戦において、 モンベセン軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 モンベセン領オービシェイドを制圧。
1205年10月 モンベセン国オービシェイド城攻略戦に着手。
1206年1月 留守の城を懸念し長期戦は避け、オービシェイド城攻略は断念。 兵を退く。
1206年5月 オービシェイド北の攻防戦において、 モンベセン軍と対戦。 陣頭に立つ、勝利。 侵攻作戦は成功。 モンベセン領オービシェイドを制圧。
1206年5月 モンベセン国オービシェイド城攻略戦に着手。
1206年8月 留守の城を懸念し長期戦は避け、オービシェイド城攻略は断念。 兵を退く。
1206年10月 君主デーナルド・ブルハルト死亡。 任地であったバイエゲルトの地で旗揚げをする。
1206年10月 前君主の下では文官であったが以後、 自らも兵を率いる。
|
|