Admiral Data
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I.タスクリン
思想 野心 人望 智力 武力 名声
-16 81 56 24 10 37

経歴

1194年4月
 ブラドゥイノ・タスクリンの嫡子として元服しアルバッハ軍准将を拝命。
  


1194年4月
 この月の人事で、アルバッハ国、文官として処務にあたる任を司る。
  


1194年12月
 国の柱となる人材を収集するべくロストラスの地への赴任が決まる


1195年3月
 この地にいたジョン・トルシーという人物の噂を聞き、
  仕官を勧めたが話は進展せず断られてしまう。
   


1196年2月
 アントゥ・レクステルク元帥の指示によって、
  地元の支持を得るべくミッテンソンの地への赴任が決まる。
   


1196年6月
 住民支持向上のそれなりの成果は上げ、ミッテンソンの地をあとにする。
  


1198年4月
 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り少将に昇進。
  


1200年11月
 君主側近の者への賄賂等、出世工作が実り中将に昇進。
  


1205年7月
 アドレイター南の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。
  右翼を担い、敵本隊への突撃等、奮戦するが、敗戦。
   アドレイター地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    


1205年11月
 ハイル・パトルク中将指揮のもとフルデシチ国モンベローニ城攻略戦に参加。
  


1205年11月
 城内への強行突入に成功、モンベローニ城を陥落させる。
  


1206年3月
 イェラレト・フォテンバーク上級大将指揮のデリベス軍にブラウベルク城を包囲される。
  


1206年5月
 ブラウベルクの地を拠点とする方面軍は新たにハイル・パトルク中将が司令官に。
  


1206年7月
 駆けつけた援軍部隊が勝利し、デリベス軍は撤退。
  


1206年9月
 カリムフェン川の戦いにおいて、デリベス軍と対戦。
  左翼騎兵を担い、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。
   カリムフェン地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
    


1206年10月
 ブラウベルクの南部方面軍を解任、帝都に戻る。
  


1206年11月
 配属先が決まり、武官として準備するよう通達される。
  


1206年11月
 ブラウベルクの地を拠点とする、
  ハイル・パトルク大将揮下の南部方面軍に配属。
   


1206年12月
 フリントローニ森の攻防戦において、
  エルラーク軍と対戦。
   陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。
    侵攻作戦は成功。
     エルラーク領フリントローニを制圧。
      


1206年12月
 エルラーク国フリントローニ城攻略戦に着手。
  


1206年12月
 城内への強行突入に成功、フリントローニ城を陥落させる。
  


1206年12月
 国内のオッスィフ・フルデバッハに今後とも協力関係を築いていくことを納得させる。
  


1207年1月
 アルフォンソ・サラサーテ大将指揮のデリベス軍にブラウベルク城を包囲される。